現代では、
銀行から借りる。
カードローンで借りる。
クレジットで後払いする。
という金融が当たり前になっています。
しかし昔の日本には、
もっと人と人との信頼で成り立つ金融がありました。
それが、
無尽、頼母子講、模合です。
地域によって呼び名が違い、
東日本では「無尽」、
西日本では「頼母子講」、
沖縄では「模合(もあい)」と呼ばれています。
根本は同じで、
「みんなで少しずつ出し合い、必要な人が先に使う」
という助け合いの金融です。

無尽とは何か

無尽とは、
簡単に言えば、
「共同積立」と「共同融資」
を合わせたような仕組みです。
例えば、
10人が毎月1万円ずつ出し合う。
すると毎月10万円が集まる。
1ヶ月目はAさん、
2ヶ月目はBさん、
3ヶ月目はCさんというように、
順番や抽選で10万円を受け取っていく。
これを全員に回るまで繰り返す。
つまり、
みんなで未来のお金を前借りし合うような仕組みです。
銀行のような担保も不要。
審査も不要。
必要なのは、
「この人は逃げない」
「この人は約束を守る」
という信用だけです。
頼母子講に込められた思想

頼母子講という言葉には、
「母と子のように互いに頼り合う」
という意味が込められているとも言われています。
困った時に支え合う。
病気になった人、
商売を始めたい人、
家を建てたい人、
結婚資金が必要な人。
そのような人を、
地域や仲間同士で助ける仕組みでした。
現代人は、
お金を「数字」や「契約」でしか見なくなりました。
しかし昔のお金は、
人間関係そのものだったのです。
誰に貸すか。
誰を先に助けるか。
誰を信用するか。
そこには、
人柄、
約束、
信頼、
付き合い、
感謝、
義理、
恩返しがありました。
つまり無尽とは、
単なる金融ではなく、
人間関係の縮図なのです。
現代版・無尽という考え方

現代風に例えるなら、
無尽はサブスク型の共同積立に近いです。
毎月一定額を払って、
順番に大きな恩恵を受ける。
また、
クラウドファンディングにも近いです。
「みんなで応援し、必要な人に先に集める」
さらに、
友達同士の旅行積立、
会社の飲み会積立、
家族内での共同貯金。
これらにも、
無尽的な思想があります。
例えば、
仲の良い5人で毎月2万円ずつ積み立てる。
毎月10万円が集まる。
誰かの開業資金、
引越し資金、
出産資金、
車の購入資金に回す。
これも立派な現代版無尽と言えます。
物品無尽という助け合い

また、
無尽にはお金だけではなく、
物を出し合う「物品無尽」
という考え方もあります。
例えば農村では、
米や野菜、
農具、
木材、
着物などを持ち寄って助け合いました。
誰かが家を建てるなら、
木材を持ち寄る。
誰かが病気なら、
米や野菜を渡す。
誰かが結婚するなら、
着物や食器を貸し出す。
つまり、
金銭無尽が「お金の助け合い」なら、
物品無尽は「物の助け合い」です。
現代でも、
子ども服を回し合う。
工具を貸し借りする。
オフィス備品を共有する。
共同購入をする。
これらは全て、
物品無尽の延長線上にあります。
沖縄の模合文化

沖縄の模合は、
現代でもかなり活発に残っています。
ただお金を積み立てるだけではなく、
毎月集まって飲食をし、
近況を話し、
仕事を紹介し合い、
困った時は助け合う。
つまり模合は、
金融であり、
コミュニティであり、
情報交換の場でもあるのです。
沖縄では今でも、
人と人をつなぐ文化として根付いています。
無尽とネズミ講の違い

しかし、
無尽には注意点もあります。
人間関係だけで成り立つからこそ、
逃げる人、
払わない人、
揉める人が出ると壊れます。
また、
人を集めること自体が目的になり、
後から入った人が損をするようなものは、
ただのネズミ講です。
本来の無尽は、
全員が平等で、
全員が助け合い、
最後には全員に回る。
だから成立するのです。
最後に

無尽、頼母子講、模合。
それは、
昔の人たちの金融知識であり、
人間関係の知恵であり、
助け合いの技術だったのです。
銀行も保険もない時代。
人々は、
人を信じ、
人に預け、
人に助けられて生きていました。
つまり、
昔のお金とは、
信用そのものだったのです。
そして現代でも、
最後に一番価値を持つのは、
通帳の残高ではなく、
「困った時に助けてくれる人がいるか」
という信用残高なのかもしれません。

コメント