
人はなぜ迷うのか。
なぜ、
進みたい。
でも怖い。
変わりたい。
でも変わりたくない。
そんな相反する感情を同時に抱えるのか。
多くの人は、
葛藤を弱さだと思う。
優柔不断だと思う。
未熟だから迷うのだと思う。
しかしTAOISMでは、
その逆である。
葛藤とは、
未完成の証ではない。
進化の証である。

葛藤は人間の正常な状態である

人の内側には、
常に複数の感情が存在している。
愛したいのに怖い。
信じたいのに疑う。
優しくしたいのに怒る。
進みたいのに不安になる。
これは矛盾ではない。
構造である。
人間とは、
本来そういう存在なのである。
もし恐れだけなら、
挑戦はできない。
もし期待だけなら、
危険を見抜けない。
もし怒りだけなら、
関係は壊れる。
もし優しさだけなら、
自分を守れない。
だから人は、
複数の感情を同時に持つようにできている。
葛藤は感情の循環装置である

感情は一直線では動かない。
円環する。
恐れ。
驚き。
悲しみ。
嫌悪。
怒り。
期待。
喜び。
受容。
これらは独立した感情ではない。
互いに影響し合いながら循環している。
そして感情は、
行動へと変換される。
恐れは服従へ。
驚きは畏怖へ。
悲しみは落胆へ。
嫌悪は呵責へ。
怒りは攻撃へ。
期待は楽観へ。
喜びは幸福へ。
受容は愛へ。
つまり葛藤とは、
感情同士の衝突ではない。
感情を循環させる装置なのである。
人は同じ場所を回っているようで進化している

人生には、
何度も似たような出来事が起こる。
また失敗した。
また傷ついた。
また怒ってしまった。
また不安になった。
すると人は、
自分は何も成長していないと思う。
しかし本当にそうだろうか。
同じ円を回っているように見えて、
実は少しずつ違う。
以前より立ち直りが早い。
以前より冷静になれる。
以前より人を許せる。
以前より自分を責めなくなった。
同じ場所に戻ったのではない。
螺旋を描きながら上がっているのである。
これが成長の本質である。
葛藤は停滞ではなく統合である

葛藤している時、
人は苦しい。
決断できない。
前に進めない。
何が正しいのか分からない。
しかし、
その状態は停滞ではない。
内部で統合が起きている状態である。
自分の中の、
弱さ。
強さ。
優しさ。
厳しさ。
恐れ。
勇気。
それらがぶつかり合いながら、
最適な形を探している。
葛藤とは、
壊れている状態ではない。
整っている途中なのである。
愛とは感情ではなく状態である

多くの人は、
愛を感情だと思っている。
好き。
嬉しい。
幸せ。
それらを愛だと思っている。
しかしTAOISMでは、
愛とは状態である。
守れる状態。
支えられる状態。
折れずに立てる状態。
それが愛である。
そしてその状態になるためには、
葛藤が必要になる。
恐れを知らなければ、
本当の勇気は生まれない。
悲しみを知らなければ、
本当の優しさは生まれない。
怒りを知らなければ、
本当の正義は生まれない。
だから愛は、
葛藤の先にある。
葛藤は進化の摩擦である

多くの人は、
葛藤を避けようとする。
苦しいからである。
しかし、
葛藤を避け続けると、
成長も止まる。
筋肉が負荷によって成長するように。
ダイヤモンドが圧力によって輝くように。
人もまた、
葛藤によって磨かれる。
葛藤とは、
痛みではない。
進化の摩擦なのである。
TAOISMにおける葛藤

TAOISMでは、
葛藤を悪と捉えない。
矛盾を未熟と捉えない。
それらは、
統合の前兆である。
恐れがあるから優しさが生まれる。
怒りがあるから正義が生まれる。
悲しみがあるから愛が深まる。
すべては対になっている。
陰と陽。
攻と守。
自と他。
そして、
その中心にあるのが道である。
最後に

もし今、
葛藤しているのなら。
それは壊れているのではない。
変わっている最中である。
苦しいのは当然である。
しかし、
その苦しみの中でしか見えない景色がある。
自分を大切にしながら、
他者も大切にする。
守りながら進む。
進みながら守る。
そのバランスは、
葛藤の中でしか身につかない。
だから焦らなくていい。
迷いながらでいい。
揺れながらでいい。
何度でも円を回ればいい。
気づいた時には、
あなたはもう同じ場所にはいない。
葛藤とは敗北ではない。
葛藤とは、
進化している証なのである。


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