働かざる者食うべからず|ハタラキとは何かを問う

「働かざる者食うべからず」

この言葉は、強く、厳しく、
時に冷たく聞こえるかもしれません。

しかしTAOISMでは、
この言葉をもっと本質的に捉えます。

働かざる者は食うべからず
働かざる者は遊ぶべからず

さらに言えば

働かざる者は生きるべからず

ここで言う「働く」とは何か。

ただ時間を使うことではありません。
ただ労力をかけることでもありません。

儲けること
稼ぐこと

そしてその本質は、

人の為になること

これが「ハタラキ」です。

TAOISMでは、

働くではなく
ハタラキと表現します。

ハタラキとは、

ヒトの為に成ること。

これが成立していれば、
結果は自然に現れます。

儲かる。
稼げる。

これは結果であり、
目的ではありません。

逆説です。

一生懸命働いているかどうかは関係ない。

重要なのは、

・儲けているか
・稼いでいるか
・人の為になっているか

この三つです。

この三つが揃っていないのであれば、
それはハタラキではありません。

感情論ではなく、構造です。

頑張っている。
努力している。

それだけでは不十分です。

価値が届いているか。
誰かの役に立っているか。

ここで判断する必要があります。

TAOISMではこれを

「現実で測る」

と呼びます。

ここを曖昧にすると、
自分にも他人にも嘘をつくことになります。

だから厳しく言います。

ハタラキがない者は、

食うべきではない
遊ぶべきではない
生きるべきではない

しかし逆に言えば、

ハタラキがある者は、

食うべきであり
遊ぶべきであり
楽しむべきであり
生きるべきであり
喜ぶべき存在です

ここに美しさがあります。

与えている者が、受け取る。

これは自然の循環です。

目次

本質とは

本質とは、働くとは「価値の循環に参加すること」である。

自分の時間や労力を使い、
誰かの課題を解決する。

その結果として、
対価が返ってくる。

この循環が成立して初めて、
ハタラキは完成する。

働くとは消耗ではない。

循環である。

理屈とは

なぜハタラキが必要なのか。

それは社会が相互依存で成り立っているからです。

一人で生きている人はいない。

食事も、住まいも、
すべて誰かのハタラキの上に成り立っている。

つまり、

受け取るだけでは成立しない。

与えることによって、
初めてバランスが取れる。

これが構造です。

TAOISMではこれを

「共同体の均衡」

と呼びます。

実践

ではどうするか。

まず問いを持つこと。

・自分は何を提供しているか
・誰の役に立っているか
・価値は届いているか

次に整えること。

・行動を現実に合わせる
・成果で確認する
・ズレを修正する

そして継続すること。

・小さな価値提供を積み重ねる
・信頼を積み上げる
・結果で測る

これがハタラキの実践です。

気づき

自分は働いているつもりになっていないだろうか。

努力で満足していないだろうか。

価値ではなく、
感情で判断していないだろうか。

人は慢心する。

やっているつもりになる。
貢献しているつもりになる。

しかし現実はシンプルです。

価値が届いているかどうか。

ここから目を逸らさないこと。

Taoismの教え

TAOISMは整える思想です。

ハタラキを整える。
価値を整える。
循環を整える。

与え、受け取り、また与える。

この流れの中で、
人は生かされている。

徳を磨き、
自分の役割を果たし、
共同体と共に歩むこと。

それが「働く」ということです。

あなたは今、
どんなハタラキをしていますか。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次