人は「余裕」という言葉をよく誤解する。
余裕がある人とは
多くを持っている人だと思われている。
お金がある人。
自由な時間がある人。
仕事ができる人。
頼れる人が多い人。
つまり
人より多く持っている人
だと考えられている。
しかし道(TAOISM)の視点から見ると
それは少し違う。
本当に余裕がある人とは
持ち続けるコストを理解している人
である。
本質|余裕は足し算ではなく引き算
多くの人は
余裕を得るために何かを足そうとする。
もっと稼げば余裕ができる。
時間が増えれば楽になる。
能力が上がれば不安が消える。
そう信じて
人生に次々と何かを足していく。
仕事を増やす。
予定を入れる。
付き合いを広げる。
情報を集める。
人の期待に応えようとする。
一見すると
それは前向きな行動に見える。
しかし道の視点から見ると
そこには一つの落とし穴がある。
人間は
何かを持つことより
持ち続けることの方がコストがかかる。
予定もそうである。
人間関係もそうである。
仕事も情報も同じである。
手に入れた瞬間は
資産のように見える。
しかし持った瞬間から
それはすべて
管理対象
になる。
ここを見落としている人は
とても多い。
理屈|人間の資源には限界がある
心理学の視点でも
人間のキャパシティは思っているより小さい。
能力が低いのではない。
処理できる総量に限界がある。
人が一日に使えるものには
必ず限りがある。
・使える時間
・集中できる回数
・人に気を遣える回数
・考えて決断できる回数
これらはすべて
使えば減る。
特に見落とされやすい資源がある。
それが
意思力
である。
意思力は
根性でどうにかするものではない。
削れれば
判断の質ごと落ちる資源である。
お金のように
あとから補充すれば戻るものではない。
だから人は
大きな衝撃で壊れるのではなく
小さな消耗が
回復を上回る状態が続くことで壊れていく。
人を削る小さな消耗
しかし人は
「何を増やしたか」には敏感だが
「何に削られているか」には鈍い。
例えば
返信しなくてもいいLINE。
なんとなく見るSNS。
断れない食事会。
意味のない打ち合わせ。
人の期待に応えるだけの人間関係。
こうした
小さな消耗。
多くの人は
軽く見てしまう。
しかし人生を重くしている原因の多くは
こうした細かな消耗である。
これは
お金の管理とよく似ている。
貯金ができる人は
大きな出費だけでなく
小さな出費を管理している。
逆に
お金が貯まらない人は
小さな出費を見落としている。
余裕も同じである。
一つ一つは小さくても
それが積み重なると
人は静かに
余裕を失っていく。
Taoismの修養|十織・五省・瞑想
道(TAOISM)では
この状態を整えるために
十織
五省
瞑想
を日々の習慣とする。
十織とは
自分の思考と行動を整える実践である。
五省とは
自分を省みる問いである。
瞑想とは
心を静め、思考の濁りを落とす行為である。
これらは
新しいものを足すためではない。
むしろ
余計なものを削ぎ落とすための習慣
である。
人は学ぶと
理解したつもりになる。
しかし慢心は
すぐに思考を曇らせる。
だからこそ
日々の省察が必要なのである。
Taoismの視点|休むより大切なこと
最近
「休む勇気」
という言葉が広がっている。
しかし道の視点では
本質は少し違う。
休むことそのものより
何が自分を削っているのかを見抜くこと
が重要である。
なぜなら
休んでも
消耗の原因が残っていれば
また同じように
消耗が始まるからである。
スマートフォンも同じである。
充電しても
裏でアプリが動き続けていれば
すぐ電池は減る。
人間も同じである。
稽古照今|過去を学び今を照らす
道では
稽古照今
という考えを重んじる。
古きを学び
今を照らす。
つまり
過去の知恵を用いて
今の自分を見直すことである。
人はしばしば
忙しさの中で
自分が何に削られているのかを
見失う。
だからこそ
立ち止まり
見つめ直す時間が必要なのである。
Taoismの結び
本当に余裕がある人とは
何かをたくさん持っている人ではない。
自分を削るものを理解している人
である。
言い換えれば
余裕とは
足し算で生まれるものではなく
引き算で生まれるもの。
予定を減らす。
関係を減らす。
情報を減らす。
消耗を減らす。
そうして人生は
軽くなる。
もし今
余裕がないと感じているなら
足りないものを探す前に
一度問いかけてほしい。
今の人生を重くしているものは
本当に必要なものだろうか。
それとも
もう手放していいのに
惰性で持ち続けているものだろうか。
道とは
本質を見抜き
余計なものを手放しながら
静かに歩むことである。
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